加藤典洋の「敗戦後論」を読んだ。もう20年近く前の著作だが、集団的自衛権が大きな政治的焦点となっている今、もっともポレミックなテーマを提供している批評だ。

 簡単に要約すると、日本人は「被害者」としても「加害者」としても太平洋戦争(あるは大東亜戦争、自分にとってはどういっても変らない呼称なのだが)の敗戦とその犠牲者の意味を主体的に吟味し、共有財産として価値化できておらず、したがって、護憲派(加害を強調)も改憲派(被害を主張)も、実は相補的に共有財産としての理解を所有していない日本人の現状を象徴する盾の表裏だという主張だ。

 加害者であった日本の戦死者を痛む(という「ねじれ」を根元におく)理念がそれによってアジアの加害者に対する哀悼の理念に繋がりうるのか、その「ねじれ」こそが戦後という枠組みの核にあるものであり、ひいては戦後という枠組みを超出する根拠ともなる、ということかと思う。戦後レジームの脱却という思想は自民党改憲草案とも合わせて考えると結局、「ねじれ」の解決ではなく否定であり、戦前に戻りたいという古びた保守反動の表現にしかなっていない。

 今も古びない「敗戦後論」は、日本の理念としての戦後がいまだに超えられていないことを実証していると感じさせた。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/加藤典洋