村上龍の「歌うクジラ」を読んだ。映画(映像)の影響が大きく、SF的なシチュエーションを映像的になぞることが大きなモチーフのように思える。未来的な状況のシミュレーション小説と言える。しかし、SF小説でない本質的な力技は、映画に良く出てくる場面やイベントの中で、主人公達が感じる内的な諸感覚を再現するところだ。これが小説を外装的なSF小説にしない防波堤の枠割りを果たしている。

 いつもの村上小説ならば、若い登場人物の感覚的な自己主張が物語を引っぱって行くが、この小説では主人公にその力が感じられない。むしろ、分子生物学的な発見により、半永久的な生命を得た「老人達」の絶望感にリアリティを感じる。作者が年を取ったと考えるべきなのか、それとも、物語のモチーフがその絶望感の表現にあるのか。私の評価は、力作(特に内的な感覚の表現)だが、作者の著作の中では、優れているとは言えないように思う。

 それにしても、所々で出てくる性的(サドマゾ的)なシーンや、冗談は相変わらずの村上節だ。